話が破綻しているんですが、企画時点で、、、
大丈夫でしょうか?
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「天才もの」って、難しいんですよ!
まあ、私はアニメ側の人間ですが、そちらの指向性が強い人間が言うことですが、、、
「アニメ」も「ドラマ」もフィクション、、、その感覚から言えば同じことです。
そしてアニメも、凝ったものは、お金を掛けたものは、学園ものは舞台を設定し、ロケを敢行、撮った写真をわざわざ、手書き、CGに落とし込む、、、情報を劣化させて手書きのキャラに馴染ませる、、、
まあ、そういうことをやっている、はたから見るとそういうことを行なっている訳です。
フィクション性の少ないアニメは現実に近づいている、、、
アニメファンでもドラマの考察は出来る訳です。
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天才を表すのは2つの方法しかありません。
1、圧倒的な技術差を見せつける。
2、周りの人間が道化になる。
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1、が出来ずに2を行う、、、まあこれはドラマなんかでいう素人探偵物の手法ですね!
警察、刑事が間抜けで使えない、、、これを示して主役の特異性を示している訳です。
でも、これは組織と個人(天才)という図式なんです。
1対1なら兎も角、現実にはまず勝つことは不可能です。
組織力に個人の情報収集力はかなわない訳です。
それでも現実と乖離しているのは、オーバーフロー、手柄にならない、採算割れ、、、
ここら辺が関わってきています。
年間30万円以下の収入は確定申告する必要が無いは、これが関わって来る訳です。
そんな些細な金額の申告漏れを捕まえたところで、動いただけ損失が膨らむだけ、、、
組織が組織として、面子を保つため、採算度外視で動かれたら個人ではかないません。
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1、を視覚的に見せるのは現実的には無理なんです。
特に今回みたいに天才と言い切っている場合は、、、
天才を表現するには、天才を知らなければいけません。
今回の場合、具体的にはだれが料理を、腕前を監修するのか、、、
その人間が天才と呼べるレベルの人間なのか、、、
まあ、そういう事です。
現実を舞台にした、フィクション性の低い作品は逃げ場が無い訳です。
でも、これをやるしか手が無いんです。
見る人間が見れば判る、、、嘘しか付けない訳です。
現実では成功した人間が全て「天才」とも言えなくも無いですが、テレビドラマはそんな何処にでもいる「天才」を描きたいんじゃ無いでしょ!
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「堕ちた天才が、三ツ星シェフに返り咲く話」、を書くためには最低でも3年、欲を言えば5年、10年の時間経過を表現する必要があるのですが、1クール、13話のドラマでそれが出来るのでしょうか?
まあ、無理だと思いますよ!
それから実写ドラマ最大のタブー、最大の違和感は解消されるんですかね?
この手の有名料理店物は、お客さんの目の前でシェフが最後の仕上げ、もしくは挨拶をするものです。
そこで「俺」と言ったら、、、そのドラマは破綻します。失敗です。
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人間、皆平等な訳ではありません。
八方美人的な人間は世の中では成功しません。
時と場合によって、立場が変わったら喋り方が変わる訳です。
「俺」を「俺」で通し続けることは不可能なんです。
それが社会経験の浅い人間、狭い世界で生きてきた人間が理解できているのか、、、
今回、脚本まで「口出し」しているんでしょ?
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「役者」は「役者」、、自分の責任の及ぶ範囲でベストをつくべきだと思うんですがねぇ!
私はそう思います。
「素人」が「プロ」の仕事に口を挟む、、おかしいですよ!
「プロ」は「予算」と「納期」そして一定水準の「品質」を守れる人間です。
それを守る必要が無い、責任が無い人間が仕切るなんて、、、
まあ、この記事に書かれていることが全て真実だという前提で書いています。
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そして、現に「予算」オーバーしたんでしょ? 1人のワガママのために、、、
アドバイザーとなり得るスキルが無い人間が、求められていないのにアドバイスを押し付け、
そして全てを台無しにする、、、
成功する要素が私には少しも見えないのですが、、、