アプリを再構築しています。

結構な勢いでアプリの中身が変わって行っています。

途中、アプリを壊してしまいました。

必要なデータを削除してしまったので、

急遽、別のMacに保存してあるオリジナルデータをコピーして復旧しました。


いざ、触っていくと、、ダメな箇所が多く、、

ゲームオーバー直後にボタンを触ってしまって、

意図しない画面が表示されたり、、

それは正しい画面なのですが、、ユーザー的にはゲームを終わったという認識ではないタイミングでそれを表示されると、、

作った自分ですらパニックになったのですから、、

一般の方は余計、パニックになるでしょう、、

ゲームの難易度以前に、、そういう基本的なところが出来ておらず、

それを直したあとも、同じことが続き、それを直すという作業をしています。

また、明確にゲームオーバー、、これを明示していなかったり、、

随分と独りよがりなアプリだと反省しています。


焦って再リリースするよりも、、

1ヶ月くらいじっくり作り込んで再リリースすべきだと考えています。

非常にシンプルなシンプルなアプリなんですが、、

ゲーム内で意地悪するならともかく、、

ゲームの操作感でストレスを与えるのは、、違うと思っています。

いくつか手はあるのですが、

その手段を使って、、ユーザーに理不尽だと思われたら

それこそ、速攻で削除されてしまうので、そこら辺を見定めながら

ゲームアプリを作り始めました。

過去の名作、習作、失敗作を見続けた結果、、

まあ、それなりに自分のアプリの弱点もわかったので、

今、アプリを修正しています。

何だかんだと、いってゲームって理不尽で意地悪です。


分かりやすい例が、「魔界村」、、

普通のゲームは、、

ゲームで死ぬと武器が初期状態に戻るのですが、、

ゲームの中で「たいまつ」という使えない武器を用意しているんです。

そして、その武器を取らされたあとに死んでしまったら、、

その後、その使えない武器を使い続けるしかなく、、

そのままゲームオーバーしてしまいます。

これは、アタリの武器を入手したあとは、

死んで再スタートした時も立ち直りが用意ですが、、

大きな悪意と、、善意、、

それが入り混じったゲーム性です。

こういう悪意も大きなゲーム性に繋がります。

癖が、個性が、悪意がゲームの面白さに繋がったりすることもあります。

ストレスのないゲームを作ったから売れるというものでもありません。

適度にストレスをかけた方がゲームの面白さに繋がると思っています。

昔のゲームが好きで昔のゲームで遊んでいたりする訳ですが、

ゲームのランダム性を出すために、、

根性を使っています。

そして、恐怖を、、

これが格闘ゲームになれば、正確性なんですが、、


昔のゲームは、、

ゲームセンターのゲームは、、

連射機能なんてありませんでしたから、、

根性で連射して、、目の前の敵を倒す訳です。

そして、倒せないとわかれば、避けたりする訳です。

見掛け倒しです。

90年代のゲームセンターのゲーム、、

シューティングゲームは、、

見かけよりも当たり判定が小さく、、かすっただけでは死なないようになっています。

でも、人間は見た目で判断するので、、

正確な判断はできない訳です。

恐怖で、、

その敵の攻撃を避ける距離が乱数となり、、

それでゲームを成立させている訳です。


若い頃はともかく、今は連打が連射が出来ません。

ずっと、それを強要されるようなゲームは辛いです。

連射装置が付けられている前提で作られているゲームは

連射装置を付けていないと話になりません。

そして、それがないずっと前のゲームは、、

逆に簡単になりすぎます。

根性なんていりません。

そして、恐怖も、、

恐怖を感じる前に、、画面内の敵を全て倒してしまえばよいんです。


でも、大昔のゲームって、、

理不尽だったりします。

作っている側も、、ノウハウが乏しく、、

また、実験作をそのまま、世に出していることもありますから、、

そういうゲームをいま、、遊ぶと辛いです。

せめて、連射の援助くらいは欲しかったりします。

いま、遊んでも昔と同じ環境は出来ません。

今は情報も揃っていますし、、

ゲームの上手い人のプレイ動画も見れます。

まあ、お手軽に昔のことを思い出す道具と考えた方がよいかもしれません。

腕が反射神経が落ちまくっている身からすれば、、連射装置を使って、、

お手軽プレイというのが良いかもです。

売れないのがわかっているので無駄な努力はしません。

やりきった感でいっぱいです。

自分としては出し切りました。

もう、何もやることがありません。

視線が変われば別ですが、視点が変われば別ですが、、


それが出来るのは、時間が経過して、

自分のこと、自分のアプリのことを冷静に見れた時だったりします。

自分から湧き上がる、後悔、やり残し感がない限り、、

自分から行動を起こすことはありません。

外的な要因、、評価点数の低下や、否定的なレビューがない限りは、、

まあ、それがあれば、何が気に入らないんだろう、何がダメなんだろう、、

と考えますが、、

自分のアプリは、、日常使いのアプリです。

高校生にしろ、大学生にしろ、

受験やら春休みやらに突入していると思います。

非日常の世界に、、

そんな時期に日常生活で使うアプリが売れるはずがありません。

開発者が閑散期だと理解している時期に、、

売ろうと努力したところで、、何を努力すれば良いのでしょうか?

結果が出ない効果は、、そんな努力は無駄です。

閑散期は、、そんなものだと割り切って、、

遊ぶべきだと思います。

他のことに触れたら、、また何か良い案が浮かぶかもしれません。

 

 

 

思考は現実化します。

まあ、普通に、

自分が思いつく程度のことは、他人も思っていて、、

自分が欲しい商品はきちんと探せばあったりします。

そして、それが無くとも、、


時期をズラせば、、

技術核心があれば、出来たりと、、

何だかんだといって、思考は現実化します。

自分が欲しいものが商品化されるんです。


さて、自分、、

お客さんが言って欲しいことを、キャッチコピーとして、、

アプリの説明文に付けたのですが、、

評判は良いみたいです。

ランキングに表示されましたので、1本は売れたと思います。

とりあえず、目先のお客さんを大切にすることです。

1本でも売れる努力をすること、、

自分と同じ考えの人は、、必ず世の中にいます。

だから、せめて、その人たちが欲しいと思える商品を作るべきです。

アピールすべきです。


これが企業なら、、

そんな悠長なことは言ってられないのかもしれませんが、

個人で、、お小遣い稼ぎ、趣味の一環のレベルであれば、

とりあえず、目の前のお客さんを自分の仲間にすることです。

 

 

レベルアップしました。

自分の頭の中で結論が出ました。

要は何々をすれば良いんだろうという悟りが、、

今から、その考えでプレゼン画像を作っていきます。

自分の場合、お悩み相談、、の方法ではなく、、

自分のライバル的な存在、アプリに対して、、これは出来ないだろう、、

という問題提起して、

それを自分なら、、自分のアプリなら出来る、、という論法の方が

自分のアプリをアピールしやすいです。


で、結局、、何が言いたいの?

ということをプレゼン画像の中で書いていなかったので、、

自分の主張が中途半端だったんです。

今日、、起きたら日本でアプリが2本かな? 売れたっぽいです。

自分のアプリ、売れると売れないの間にいます。

それならば、もっとアピールすれば自己主張すれば、、

もう少し売れるかもしれません。

可能性があるなら、可能性を見つけたのなら、、トライするしかありません。

しょせん、今のままではお小遣いです。

それくらいの金額は失敗しても痛くありません。

収入を失ってでも、勝負に出るべきです。

でも、慎重に、、

例えば、激辛をうたっていても、、万人が好む辛さには幅があります。

少しずつ、、辛い方に相手の顔色を伺いながら調整しないと、、

行動理由は単純です。

ルールに従って動きます。

自分なりのデザイン理論というのが決まっています。

そこにブレはないので、結果は同じとなります。

文字を扱う場合、デザインを扱う場合、

余白部分をデザインしないといけません。

この空白部分を文字の太さだったり、デザイン全体の煩雑さで決めます。

私はバランスを重視する人なので、

画面上部に文字を置いた場合には、必ず下にも同様のもの

印象が等価のものを配置してバランスを取ります。


過程がアンバランスでも必ずそのような形になります。

なぜ、そう思うかが自分の中で説明できるほど、

考えが定まっており、単純です。

でも、それを他人に求めるのは、それが当たり前だと求めるのは、、

酷でしょうね!

自分が特別で訓練された壊れた人間だと自覚しないと、、

自覚がないと、周りも自分も大変です。