それくらい、大胆にアプリを変更しました。
まあ、評価してくれないユーザーは、、意味がありません。
布教活動さえしてくれないユーザーは、、
そのユーザーの権利を守ったところで、、
アプリ制作者にはなんのメリットもない訳です。
メリットが大きいのなら、、互換性なんて無視です。
普通の範疇にいるから、、評価されないんです。
それならば、、いっそ、、嫌われた方がマシだったりします。
嫌われたって構わないという考えで行動したら、、
案外、大胆に行動できるものです。
「激辛ラーメン」で、、
辛すぎる、、もっと手加減しろ、、という評価は、、
たとえ、それが評価1であっても、、
それは意味のある評価です。
まあ、平均点が下がり続けるのは、、
下がり続けたら問題ですが、、
「激辛」と認識されたら、、それで商売が出来る訳です。
看板に偽り無し、、
名が体を表す、、
正当に評価された上の結果であれば、、意味があるんです。
警告音がうるさい、、
それで評価1を付けられても、、
ユーザーが警報が警報に即座に気付き、、即座に対応できるのであれば、、
それは良いシステムです。
ユーザーを怒らせようとも、、気付かせるのが任務のアプリであれば、、
そこに、うるさいと言われようとも、構いません。
それは目的の副次的な効果です。
効果が強い薬は、、毒にも成り得るです。
適切に説明されていれば問題ありません。
効かない薬よりはマシです。