休んでいるより何かやっていた方が楽です。

退屈を楽しめません。

人が作ったものを楽しめません。

出来ることが見つかったら、チャンスが見つかったら、、

それを実現するために、すぐに行動をしてしまいます。

ただ、アップルに同時申請は危険だと感じています。

なんとなくだけど、、

だから、作業として、、完成していても、

申請は翌日以降です。

今日はアプリ、2本を改造しました。

アイコンを変更しました。


アプリ名はコロコロ変更します。

自分の欲しい名前は確実に取れるので、、

その都度、自分のアプリに相応しい名前に変更していきます。

自分が動かないと結果は変わりません。

そして、現状を維持しても意味がない訳です。

確率的に週2本、、600円が儲かる程度の現実は、、

チャンスがあるなら、勝算があるなら高みを目指すべきです。

自己評価と世間の評価に差があるのなら、、高みを目指すべきです。

理想と現実は違います。

2日触って、、デバックして、、

全て出来てしまったので、アプリの審査に出しました。

ゆっくり構えて、じっくりと、、そういう姿勢ではいたのですが、、

結構、大きなミスをしていたので、

気付いた段階で、対応できる範囲で、、早急に手を打つ必要がありました。

急場で作成したアプリですが、

以前の不具合がてんこ盛りのものよりは考えて作られています。

ゲームとして成立しない、、

そういう類の不具合を放置し続ける訳にはいかないので、

これで、売れなくても遊べる、楽しめる程度の、、

無料ならダウンロードしたい程度のアプリには仕上がったはずですが、、

今後、どういう結果が出るのか楽しみです。

パターンゲームを作っています。

アルゴリズムを正確に把握すれば、コンピュータの次の手がわかるようなゲームを、、

乱数で不確実性を演出しても、、

ちょっと弱いと思っています。

人間がアイテムの順番をある程度、適当に偏りがある様に配置した方が、

メリハリのあるゲームを作れます。


複数のパラメータを、

異なる周期で一巡する様に作成、

そして1つのパラメータはゲーム開始時に初期値に戻される、、

こういう風にしておけば、パラメータが多ければ多いほど、、アプリ開発者さえ

どういう展開になるかわからなくなります。

また、パターンゲームは、、開発者にしてみれば、、

開発時にパターンを固定できますので、デバッグが容易になります。

ここで下手に乱数を使うと、、デバッグが大変になります。

自分のゲームはしょせんは、パターンゲームで、

プレイヤーの反応に対してコンピュータの回答を返すだけの単純なアプリですが、、

それで良いと思っています。

アプリを再構築しています。

結構な勢いでアプリの中身が変わって行っています。

途中、アプリを壊してしまいました。

必要なデータを削除してしまったので、

急遽、別のMacに保存してあるオリジナルデータをコピーして復旧しました。


いざ、触っていくと、、ダメな箇所が多く、、

ゲームオーバー直後にボタンを触ってしまって、

意図しない画面が表示されたり、、

それは正しい画面なのですが、、ユーザー的にはゲームを終わったという認識ではないタイミングでそれを表示されると、、

作った自分ですらパニックになったのですから、、

一般の方は余計、パニックになるでしょう、、

ゲームの難易度以前に、、そういう基本的なところが出来ておらず、

それを直したあとも、同じことが続き、それを直すという作業をしています。

また、明確にゲームオーバー、、これを明示していなかったり、、

随分と独りよがりなアプリだと反省しています。


焦って再リリースするよりも、、

1ヶ月くらいじっくり作り込んで再リリースすべきだと考えています。

非常にシンプルなシンプルなアプリなんですが、、

ゲーム内で意地悪するならともかく、、

ゲームの操作感でストレスを与えるのは、、違うと思っています。

いくつか手はあるのですが、

その手段を使って、、ユーザーに理不尽だと思われたら

それこそ、速攻で削除されてしまうので、そこら辺を見定めながら

ゲームアプリを作り始めました。

過去の名作、習作、失敗作を見続けた結果、、

まあ、それなりに自分のアプリの弱点もわかったので、

今、アプリを修正しています。

何だかんだと、いってゲームって理不尽で意地悪です。


分かりやすい例が、「魔界村」、、

普通のゲームは、、

ゲームで死ぬと武器が初期状態に戻るのですが、、

ゲームの中で「たいまつ」という使えない武器を用意しているんです。

そして、その武器を取らされたあとに死んでしまったら、、

その後、その使えない武器を使い続けるしかなく、、

そのままゲームオーバーしてしまいます。

これは、アタリの武器を入手したあとは、

死んで再スタートした時も立ち直りが用意ですが、、

大きな悪意と、、善意、、

それが入り混じったゲーム性です。

こういう悪意も大きなゲーム性に繋がります。

癖が、個性が、悪意がゲームの面白さに繋がったりすることもあります。

ストレスのないゲームを作ったから売れるというものでもありません。

適度にストレスをかけた方がゲームの面白さに繋がると思っています。

昔のゲームが好きで昔のゲームで遊んでいたりする訳ですが、

ゲームのランダム性を出すために、、

根性を使っています。

そして、恐怖を、、

これが格闘ゲームになれば、正確性なんですが、、


昔のゲームは、、

ゲームセンターのゲームは、、

連射機能なんてありませんでしたから、、

根性で連射して、、目の前の敵を倒す訳です。

そして、倒せないとわかれば、避けたりする訳です。

見掛け倒しです。

90年代のゲームセンターのゲーム、、

シューティングゲームは、、

見かけよりも当たり判定が小さく、、かすっただけでは死なないようになっています。

でも、人間は見た目で判断するので、、

正確な判断はできない訳です。

恐怖で、、

その敵の攻撃を避ける距離が乱数となり、、

それでゲームを成立させている訳です。


若い頃はともかく、今は連打が連射が出来ません。

ずっと、それを強要されるようなゲームは辛いです。

連射装置が付けられている前提で作られているゲームは

連射装置を付けていないと話になりません。

そして、それがないずっと前のゲームは、、

逆に簡単になりすぎます。

根性なんていりません。

そして、恐怖も、、

恐怖を感じる前に、、画面内の敵を全て倒してしまえばよいんです。


でも、大昔のゲームって、、

理不尽だったりします。

作っている側も、、ノウハウが乏しく、、

また、実験作をそのまま、世に出していることもありますから、、

そういうゲームをいま、、遊ぶと辛いです。

せめて、連射の援助くらいは欲しかったりします。

いま、遊んでも昔と同じ環境は出来ません。

今は情報も揃っていますし、、

ゲームの上手い人のプレイ動画も見れます。

まあ、お手軽に昔のことを思い出す道具と考えた方がよいかもしれません。

腕が反射神経が落ちまくっている身からすれば、、連射装置を使って、、

お手軽プレイというのが良いかもです。

売れないのがわかっているので無駄な努力はしません。

やりきった感でいっぱいです。

自分としては出し切りました。

もう、何もやることがありません。

視線が変われば別ですが、視点が変われば別ですが、、


それが出来るのは、時間が経過して、

自分のこと、自分のアプリのことを冷静に見れた時だったりします。

自分から湧き上がる、後悔、やり残し感がない限り、、

自分から行動を起こすことはありません。

外的な要因、、評価点数の低下や、否定的なレビューがない限りは、、

まあ、それがあれば、何が気に入らないんだろう、何がダメなんだろう、、

と考えますが、、

自分のアプリは、、日常使いのアプリです。

高校生にしろ、大学生にしろ、

受験やら春休みやらに突入していると思います。

非日常の世界に、、

そんな時期に日常生活で使うアプリが売れるはずがありません。

開発者が閑散期だと理解している時期に、、

売ろうと努力したところで、、何を努力すれば良いのでしょうか?

結果が出ない効果は、、そんな努力は無駄です。

閑散期は、、そんなものだと割り切って、、

遊ぶべきだと思います。

他のことに触れたら、、また何か良い案が浮かぶかもしれません。