何でも出来るということは逃げることも出来る訳です。
そしてインチキくさいことも、、
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天才系、異世界系が持てはやされる一方で、「ジョジョ」や「ワンピース」、
「文豪ストレイドックス」や「超電磁砲」の様に1系統の能力しか使えない話がありますが、
話作りとしては、危機を演出するには、そして魅力的な新たな的、ライバルを登場させるのなら
何でも出来るより、1つの事しか出来ない方が都合が良いんです。
何でも出来るにしてしまうと、、まあ、「超人ロック」みたいにせざるを得ないでしょうね!
作中で最強の存在、、本気で動けば話の骨組みを壊してしまうから、1つ1つの話には、
その話限りの主役を立て、、その主役の協力者として話を終わらせるために登場する、、
まだ、本気は出していない、、そういう系統の話で引っ張っていくには強すぎるんです。
基本、傍観者にならざるを得ないんです。
少なくとも、長期連載するには、、
未熟な、弱い主人公ならピンチを演出出来ますが、その話だけの主人公です。
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主人公が積極的に動き、話が破綻しない様に作るには「サイボーグ009」の様に1つの能力しか持たない作中の中で決して強く無い人物を主役にした方が話が作りやすいんです。
そして「009」は言わば野球です。
チーム一丸となって敵を倒す、その場を生き残る、、そういう話だったと記憶しています。
これを1対1でやると、、強い方が勝つ、、そんな戦いになるのですが審判(作者)のあからさまな「えこひいき」や「偶然」が重なると、、
安直な方法で偶然に勝てる「何でも出来る主人公」は、何で勝ったか判らない方法で勝ち続けることも出来ます。
審判が主人公側の人間なら、それはたやすい事です。
何でも出来ると言う事は、リアリティが無くなり、ピンチがピンチでは無くなります。
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でも、特殊能力、超能力を「才能」と言い換えると、、
「できる人間」はとことん出来る訳です。 何でもこなせます。
仕事のことなら何でも、、個人事業主って、プロってそんなもんですよね!
何でも出来るスーパーマンです。
まあ、そのスーパーマンも仕事の上だけだったりしますので、、
全てに置いて、まんべんなく平均点を取れるかと言うと、、
プロになるため、プロで生きていくため、日常生活を無視している場合がありますからね
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1人で生きていけるかというと、、怪しいものです。
漫画で描かれる天才というのは、世の中何処にでも存在し、、そしてその人たちは無力です。
天才だからといって、世の中を勝ち上がっていくことは出来ません。
天才なんて、何処にでも普通にいる世界で勝ち上がるのは、勝ち続けるのは、、
そして、生き残った天才がいつ迄も生き残れるかというと、、
反射神経や判断力が鈍った時点で、守りに入った時点でいつ迄も勝ち続けることは出来ません。
最善期であろうとも、大怪我をすれば終わり、、そういう世界です。
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「超電磁砲」を見ていて、人間の才能って、、そんな単純なものじゃ無いよ!
と思ったので書きました。
「超能力」は1人に1つ、、それを魅力的なキャラで誤魔化していますが、根性論です。
根性論だけで、1人の主人公が解決するというのは、、
見ている範囲ではチーム戦では無い訳です。 共闘はあっても、サッカーのようなもの、、
エースストライカーが居て、その他大勢の仲間がいる、、
そういう構造で話が作られています。
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野球では、登場人物には必ず攻撃のチャンスがありますが、サッカーは、、
その他大勢は、エースストライカーを生かすためだけに存在する、、
作りが悪いと、そういう稚拙な話の作り方になるんです。
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ちなみに「ジョジョ」はプロレスです。
「野球」か「サッカー」か「プロセス」、、どれが話作りに良いかと言うと、、
少なくとも、自分の好みは「プロレス」かな?